レバノン共和国・地図や写真。国旗と緯度経度

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レバノン共和国・ベイルート

レバノン共和国(Lebanon)
レバノン共和国(Lebanon) ベイルート(Beyrouth)
33.896013,35.500864
公用語 アラビア語
面積 世界第161位
独立 フランスより1943年11月22日
政治 憲法により、宗派ごとに政治権力を分散する体制が取られており、国会の議員数も各宗派人口数に応じて定められている。キリスト教マロン派は34人、イスラム教スンナ派は27人、イスラム教シーア派は27人などである。大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派から選出されるのが慣例となっている。
備考 通貨はレバノン・ポンド。一人当たりの国民総生産は1995年に2660ドル。内戦で荒廃し、産業は特に無い。 内戦以前のベイルートは「中東のパリ」と呼ばれ、金融の中心であり、また観光地でもあった。ベイルートは日本からヨーロッパへ向かう日本航空の南回りヨーロッパ線の寄港地としても利用されたが、内戦の激化と飛行機の性能向上などの理由で運行が停止され、中東の玄関口としての役割は失われていった。
現在、内戦後の経済復興を進めるレバノン政府は、ベイルートを再び観光地として売り出す計画を進めている。


首都・ベイルート(Beyrouth)

ベイルート中心部政府付近・緯度経度33.896013,35.500864

首都・ベイルート
ベイルートは、アラブ世界の知的首都であり、商業と観光の主要な中心地でもあり続けたが、それも1975年にレバノンで凄惨な内戦が勃発するまでであった。内戦のほとんどの期間、ベイルートは、イスラム教徒の西部(ベイルートの大部分)とキリスト教徒の東部に分割された。かつて商業や文化活動の軌跡をとどめていた市街地は、無人地帯になった。ベイルートの上流階級や知識人の多くが他国に逃れた。
内戦終結後、レバノンの人々はベイルートを再建しつつあり、観光、文化、知的活動も徐々に回復し、商業やファッション、報道も盛んになりつつあるが、観光や大衆文化の中心はカイロ、イスタンブールなどの都市に、金融、交通の中心はドバイにその地位が移り、課題は大きい。
 
エトワール広場
33.896712,35.504471


エルアミンモスク、セントジョージ教会
33.895258,35.50577



教会
33.892914,35.507568


鳩の岩
33.890001,35.469994


ベイルート市街地